Healing Essayヒーリング・アーツとともに
“Healing”(ヒーリング)の本来の意味とは?
◎手1つをほどく、それが全身にどれくらい影響するかを確かめたければ、各自が日常生活の中で頻繁に行なってよく馴染[なじ]んでいる動作の中で、蓮華掌の凝集→拡散を試してみるといい。同じ動作が、突然豊かな空間的拡がりの質を備えるようになる。より柔らかく、艶[つや]やかで、充実している。しかも軽やかだ。こういう本質的変容をヒーリング・アーツでは「熟達する」と呼ぶ。
高木一行著『奇跡の手 ヒーリング・タッチ』より
手が固い、痛い、ごわついた感じがする・・・といった時、それは手だけの問題でなく、全身が固く、痛く、ごわついていることのサインととらえると、手を柔らかくほどく行為の大切さがわかります。
手をほどくことが全身の固さをほぐし、瑞々しさを取り戻すための近道となります。
さて、「一日30分のヒーリング・タッチ」実践報告の続きをご紹介します。タッチする部位により、さまざまな異なる効能が表われています。
報告1
1日30分程度、日々ヒーリング・タッチすることを実践し、私は主に目にヒーリング・タッチを行なっていたのですが、目だけでなく、後頭部や首の後ろ等も緩んでいき、ガクッ、ガクッと大きくこわばりがほどけるときもありました。PCの画面を長時間見続けたりして目を酷使することで、目以外のところも凝ってしまうのですが、目をヒーリング・タッチでケアすることで、目から連動して凝る他の場所を同時にケアすることができ、全身が深くリラックスすることを改めて感じています。
つい最近、庭の梅の花を間近で観ていたときのことなのですが、観の目で観ていると、たくさんある雄しべの1本1本が非常に立体的に、緻密な空間性を感じられつつ観えてハッとしたことがありました。これまでも観の目で観ていて立体的に観えていたと思っていたのは、まだまだ雄しべ全体をひと塊に捉えていたのだな、と感じざるを得ないほど、立体性がより粒子的に、細分化されて感じられたように思いました。このことも、目がヒーリング・タッチによって緩みほどかれてきたことに関係しているのではないかと思っています。
(佐々木奈緒子 神奈川樂会/女神会)
報告2
ヒーリング・タッチを身体の任意の箇所に一日30分くらいかけて実践してみました。身体箇所は腰(へその真裏)にしました。腰にヒーリング・タッチを施し始めてからしばらくすると、意識が身体の裡に収まり、穏やかで落ち着いた身体感覚、そして精神状態となりました。
実践を始めてから半月ほど経った頃、腰の部分に(袴の)腰板が着いているのではないかと錯覚してしまうくらいの腰(表面)の感覚が現れてきました。それは道を歩いている時などにはっきりと感じられ、いつものせわしない歩行から解放され、落ち着いた足取りとなっているのに気付かされました。
腰へのヒーリング・タッチは初めのうちこそ30分が長く感じられましたが、続けていくうちに心地良さを感じるようになり、時間もあまり気にならなくなっていきました。ヒーリング・タッチで腰と触れ合っていくと、掌と腰が次第に互いに吸い付くような感覚となり、また腰自体の意識が芽生え、腰から掌へ働きかけてくるような感覚が生じてきたりもしました。
今後もヒーリング・タッチによって腰の意識をより目覚めさせ、定着させていきたいと思います。
(平川晋一 神奈川樂会)
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私たちはここ最近、NPO法人としてあらたな活動を行なうにあたり、その資金を調達すべく、クラウドファンディング・プロジェクトを進めていました。
そのプロジェクトが審査に通った後、クラウドファンディング・サービスのサイトで公開すると、プロジェクトに興味を持った一般の人々が出資できる仕組みになっています。
クラウドファンディング自体初めての試みで、試行錯誤を繰り返しつつプロジェクトの内容を詰めていったのですが、いざ審査の申請をすると、「差し戻し(不合格)」という結果が返って来ました。
主な理由として、「ヒーリング」という言葉が、「占い・開運」といった、怪し気な商売を連想させるため、取り扱えないとのことでした。
「ヒーリング・ネットワーク」の名称自体、使えないことになってしまいます。
ヒーリング・アーツ、ヒーリング・タッチ、ヒーリング・バランス、ヒーリング・フォトグラフ、ヒーリング・サウンドなどなど、私たちがこれまで真剣に学び、修得するため努力してきたものの象徴としての「ヒーリング」という言葉が、本来の意味から大きく外れ、「怪し気なもの」と認知されてしまう、それが今の社会なのだとつきつけられ、深い悲しみに満たされました。
夫が以前記事にしましたが、「ヒーリング(healing)」の語源を遡ると、ギリシャ語の「holos」へたどり着きます。holosは「全体性」「つながり」「バランス」等を意味し、holosから「whole(全体)」、「heal(いやす)」、「health(健康)」、「holy(聖なる)」などの言葉が派生したそうです。
ヒーリング・アーツは、「思い込み」や「観念論」の世界で「holos」の意味をもてあそんでいるのでなく、生理的実感、体に働きかけることにより、誰もが感じられる、人間が本来持ち合わせている感覚を開発するためのメソッドです。
私たちは自分の中に「全体性」「健康感」「聖性」を感じられない、そうしたブロックを融かし、ほぐすことを目的とし、ヒーリング・アーツを実践しています。
ここであらためて、夫が<ヒーリング・ネットワーク>創設時に発表した記事『生命の芸術』冒頭部分をご紹介します。
ヒーリング・ネットワーク・・・・これは、私が2002年5月29日から8月26日に至る90日間の連続断食を行なった際、ある日突然、私の内面で鳴り響いた言葉だ。
それは普通の言葉とはまったく違う、どこか神秘的な場所からやってきたように感じられた。声に出して唱えると、時間と空間を超えて無限の彩り豊かな世界がマンダラのように拡がっていくのを、ありありと感じることができた。<ヒーリング・ネットワーク>とは私にとって、生命が通う言葉であり、大いなるヴィジョン(透察、展望、幻視)の結晶だ。
90日間の連続断食を夫が敢行した時、私はずっとそばについて、様子を観[み]守っていました。90日もの間、何も食べないというのがどういうことか、そばで目撃しなければ、到底理解が及ばないと思います。
それは自分だけのためには決してできることではありません。
私が言うヒーリングとは、生理的・心理的にはっきり感じられるある状態だ。微粒子レベルで強烈に帯電した圧力感の如きもの。活力であり、歓びであり、穏やかさであり、充実感だ。
身体のあらゆる箇所で、ヒーリング状態を目覚めさせ、活性化させることができる。それらをネットワーク化していけば、全身のバランスが取れ、身体と精神は自ずから統合され、限りないしなやかさ、自由さ、すがすがしさに満ちあふれた生のあり方が実現する。
私は今、こうしてこの文章をしたためながら、ヒーリングを心身丸ごとで実感しつつある。たった今この世に生まれ落ちたみたいに新鮮で、祭の盛り上がりのように賑やかだ。と同時に、矛盾するようだが、まったき静謐さを感じる。
「餓死」が目の前にある極限状態において、人々と「ヒーリング」を分かち合いたいという祈りが結晶化し、誕生したのが<ヒーリング・アーツ>です。
私たちは長年、夫のもとで学ぶ中、上記のような「ヒーリング状態」を、ヒーリング・アーツの伝授を通じ、幾度も味わってきました。
何か理由があるのではなく、ただ、あるがままの「今」が、満ち足りていて、幸福感で一杯の状態。
夫からのヒーリング・タッチにより、気持ちよさが極微細粒子の穏やかな流れになって全身に充ちてゆく状態。
何もかもが祝福に満たされ、美しさそのものの世界が目に映る状態。
そうした体験は、何か特別な人や、特別な出来事、特別な状況としてあるのではなく、今、この瞬間に、目の前にあるものです。
その扉を開くのが、ヒーリング・アーツであることを、私たちは実体験として理会しています(もちろん、ヒーリング・アーツだけが唯一絶対の方法ではありません)。
世の中には、本当に怪し気な「ヒーリング」なる商売が存在していることも知っています。ですから、一般の人々がヒーリングに対する拒絶反応があることも理会できます。
夫が出所した暁には、「ヒーリング」という言葉を使った活動はなくなるのかもしれません。
しかし、自分たちの筋を通し、信念を貫くという意味で、今はあえて<ヒーリング・ネットワーク>として堂々と、活動を続けてゆく決意をあらたにしました。
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3月25日(日)、神奈川樂会のヒーリング・アーツ稽古会が開催されます!
https://healing-network.or.jp/events/tanoshi180325/
3月22日(木)、NPO後援・藝術文化推進活動として、リィラ音楽教室主催の<アフタヌーン・コンサート>が開かれます♪
https://healing-network.or.jp/events/leelamusic180322/
5月27日(日)は、広島にて<りんぐリン 3rd Live 陰陽 〜Yin Yang〜>が開催されます♪
https://healing-network.or.jp/events/ringling180527/
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写真:Healing Photograph スライドショー1-35『梅の香のエクスタシー @縮景園』より
『奇跡の手 ヒーリング・タッチ』は、<Megami Marche[女神マルシェ]>のウェブサイトでご購入いただけます。