NPO法人 ヒーリング・ネットワーク

Home > ヒーリング・アーツとともに > 生命の対等 〜ジャパンドルフィンズデーに寄せて〜

Healing Essayヒーリング・アーツとともに

生命の対等 〜ジャパンドルフィンズデーに寄せて〜

 少しずつ、少しずつ、海に入るたびごとに、イルカたちとの距離が近くなってゆく。
 時に、すぐ目の前を大きな体がサッと横切る。
 近い。近い。
 こちらの目をのぞき込んでくるイルカもいる。

『ドルフィン・スイムD 利島巡礼・2003 第1部 DはドルフィンのD』(文/高木一行)より抜粋

 

 

 

 9月1日は、「Japan Dorphines Day」だそうです。世界各国の人々が日本のイルカたちに注目するこの日。

 イルカには特に興味がなかった私ですが、かつて夫と一緒に参加したドルフィン・スイム(野生のイルカと一緒に泳ぐ体験ツアー)がきっかけで、イルカに対する意識が変わりました。

 

 1995年、1頭[ひとり]のイルカが利島周辺に棲みついた。
 後にココと名づけられたそのイルカは、漁師たちとの交流を徐々に深めてゆき、やがて「利島心[しん]住民」として正式に認められた。
 もちろん、そこに至るまでの道のりは決して平坦なものではなかった。「イルカなど殺してしまえ」と主張する者も最初の頃は少なくなかったという(実際、ココが生んだ子供は他島の漁師によって惨殺された)。

 ・・・中略・・・

 ココのように群れを離れて暮らすイルカをハーミット・ドルフィンと呼ぶそうだ。ハーミットとは隠者の意。
 古代ギリシャのアリストテレスが記したイルカに乗る少年の話も、ハーミット・ドルフィンとの交流風景であるといわれている。
 海に落ちた人を助けたイルカとか、近年ではカリブ海に浮かぶタークス&カイコス諸島のナショナル・トレジャー(国宝)となったJOJOなど、往々にしてハーミット・ドルフィンは人間と積極的に交流しようとする傾向があるようだ。

『ドルフィン・スイムD 利島巡礼・2003 第2部 DはディープのD』より抜粋

 

 

 イルカは人間と対等な存在であり、海ではむしろ、人間のほうがかなり不器用です。「そんなのわかってるよ」と言う方もいらっしゃるかもしれません。

 しかし、この「気づき」は、頭での理解・観念論ではなく、心と体、魂が渾然一体となった「理会」なのであって、イルカに対する限りない敬意と愛情が、ドルフィン・スイムを実際に体験したことにより、私の中から自然に湧き溢れてくるようになったのです。

 

 クジラ肉なんてとりたててうまいと思ったことはないが、外国の反捕鯨団体などがクジラを食べるな、と頭ごなしに、一方的に、意見を押し付けてきたといったニュースを耳にするたび、生来の反逆精神がむくむく頭をもたげてきて、「ならば食ってやる」と、時折り、半ば意地で、クジラ料理を食していた。
 が、小笠原、利島巡礼を経て、クジラ(イルカ)肉に対する食欲はゼロ、どころかマイナスとなった。
 イルカやクジラは人間並みに頭がいいから食べるべきではない、といった安直な理由によるものではない。イルカたちは、人類とはまったく違う形態の知性、文化を、おそらくは発達させている。
 イルカは可愛い、とも思わない。くちばしの先端で、サメの弱点である肝臓に体当たりし、サメを殺してしまう凶猛な破壊力を、イルカは秘めている。
 野生のイルカと一緒に泳ぎ、生命が高揚する歓びを味わった結果、他に食べ物はいくらでもあるのに、わざわざイルカやクジラを残酷な方法で殺して食べる必要などまったくない、という気持ちに、自然になっていったのだ。
 反捕鯨を唱える人々は、自らの考え方をゴリ押し的に他者に強要しようとするのでなく、もっとフェミニン(女性的)で柔らかな方法で、イルカやクジラを食べる人たちをドルフィン・スイム(やホエール・スイム)へと誘[いざな]ってみてはいかがだろう?

 ・・・中略・・・

 天地万有の生命[いのち]とダイレクトに共感し合う境地を目指し、30数年間ひたすら努力と研鑽を重ねてきた。
 日暮れて道遠し。・・・日が暮れてあたりはどんどん暗くなりつつあるのに、見知らぬ寂しい山道で独りぼっち。
 ・・・・才能乏しき私は、そんな寂寥感[せきりょうかん]をこれまで幾度味わったことだろう。
 進めども進めども、まったく出口が見えない。
 絶望に襲われ、打ちひしがれそうになったことも1度や2度ではない。

 愛する妻に支えられ、友人たちの励ましを受け、しまいにはイルカの教え、導きまで受けて、ついに・・・。

 遥けきも来つるものかな(はるばる遠くまで来たものよ)。
 そしてそこは、ゴールというよりは、むしろ出発点と呼ぶべきものだった。
 ただあるがままの、自然・・・。

「生命の対等」という根本ヴィジョンについて、ここで多くを語る余裕を持たないことを遺憾とする。
 今後その機会が私に与えられるものか、否か・・・私にはわからない。

 術[わざ]、芸術としてのヒーリング・アーツに<生命の対等>なるヴィジョンがクロスオーバーされたことにより、新たな<道>が開かれた。
 人間による人間のための芸術、術[わざ]を超えた、いわば普遍的な生命[いのち]の法。
 生命[いのち]とは、死の反対極としての生とは違う。それは、生と死を共に超越し、生と死の源泉となるもの。
 あらゆるものはそこから来て、そこへと還ってゆく。
 命の根源世界。それを私は龍宮と呼ぶ。

 龍宮道の開門を、今、ここに宣言する。

 イノチの歓喜に満ち充ちて。

『ドルフィン・スイムD 利島巡礼・2003 第4部 Dは歓喜(Delight)のD』より抜粋

 ・・・・・・・・・・

 9月1日から、毎年、大量のイルカが惨殺される「イルカ漁」が和歌山県・太地町で始まります。世界中の動物・自然愛護団体や個人の方々の注目が日本に集まっています。

 ここで捕獲されたイルカのうち、水族館に売られてゆくイルカは、一頭74万円。町にとっては大きな収入源です。

 しかし野生のイルカが狭いプールに閉じ込められると、そのストレスは甚大で、イルカショーのイルカたちは皆、胃潰瘍で薬を常用しているのだそうです。

 私はそれを知ってから、水族館には行かないことにしています。考えてみれば、元々野生だった生き物を、生涯、狭い檻(プール)の中に綴じ込めるのは残酷です。

 ちなみに、うちの爬虫類たちは皆、人間の手で繁殖された個体です。人間がこまめに世話をしなければ、野生ではおそらく、生きてゆけないでしょう。

 クレステッドゲッコーはニューカレドニア産のヤモリですが、野生ではほぼ絶滅状態で、人間の手でブリード(繁殖)が盛んに行なわれるようになり、そのコケティッシュで愛らしい風貌と物怖じしない性格から、ペット用ヤモリとして爆発的人気を得て、世界中でどんどん増えています。

 このように、人間は他の生き物を保護する力と技術を持っています。そのパワーを、生き物たちと仲良く共存することに使っていきたいですね!

 ・・・・・・・・・・

 NPO法人ヒーリング・ネットワークはWWF(世界100カ国で活動する自然環境保護団体)を応援しています(収益の一部を寄付させていただいております)!

 

写真/高木一行&美佳 Photo by Kazuyuki Takaki & Mika Takaki