NPO法人 ヒーリング・ネットワーク

『龍爪掌と蓮華掌』

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ヒーリング・フォトグラフ:『龍爪掌』撮影:高木美佳

 <強圧微動術講習会 in 大阪(2017.12.10開催)>の会場でも
飾られていたヒーリング・フォトです。

 跳躍的な変化が、今や切望されているのではないか?
 あなた自身によっても。
 社会も、
 国も、
 世界全体が、
 ジャンプ(二元対立の統合止揚によるまったく新しい世界の創出)を必要としている。
 
 ヒーリング・アーツとは、来たるべき新たな人類文明の基礎となる新しい意識のあり方と、そこへと至るための具体的方法について、身体言語を通じて説いていく<道>だ。
 聖なる恩寵、いやしのマナ。
 地道に、着実に練修していけば、いにしえの賢者や聖者たちがこぞって指し示してきた超意識の境地が、あなた方にも徐々に啓[ひら]かれ始める。心と体がすこやかに合致し、身体と精神の最高機能を引き出せるようにもなるだろう。
 各自の身体を通じ、相対立する正反対の要素は統合され得るという真実に目覚めれば、外側のあらゆる対立をも芸術的に(美しく)融和する道(可能性)を、人は常に信じられるようになるはずだ。

ヒーリング・フォトグラフ・スライドショー『龍爪掌と蓮華掌』ライナー・ノーツ 文/高木一行 より抜粋

 各地で活動している私たちヒーリング・アーツ・トレーナーはこれまで、高木一行先生より伝授いただいたヒーリング・フォトグラフ道の各種稽古を通じて、ものの観[み]え方が激変する体験を幾度も重ねてきました。

『奇跡の手 ヒーリング・タッチ』(高木一行著)で紹介されている、『メドゥーサ修法』は、宮本武蔵が『五輪の書』で説いた「観[かん]の目」、肥田春充が強健術の要訣として掲げている「瞳光不睨[どうこうふげい]」と同一の、特別な目の使い方を可能とするヒーリング・メソッドです。
 あらゆる身体運動・武道・藝道の極意として、超一流の人は必ず体得している目の使い方ですが、正しく学び、継続的に実践することで、どなたでも修得できます。

 ヒーリング・アーツにおいて重要な柱となっている写真藝術、「ヒーリング・フォトグラフ道」においては、観の目やヒーリング・タッチを活かして写真撮影することで、撮影者が感じている世界をそのまま写真に映し撮ることができます。
 さらに、その写真を鑑賞している人も、観の目を使うことにより、ヒーリング・フォトグラフの内奥に秘められた世界が垣間観えるようになります。
 こうしたものの観え方は、ごく一部の藝術家のみが生来備えている能力ですが、ヒーリング・フォトグラフ道の開示により、特別な才能ある人だけのものではなくなったのです。

参考ページ

 高木一行先生が、ご自身の記事で、ヒーリング・フォトグラフについて詳しく解説されています。
『ヒーリング・フォトグラフ アーティクル』
http://healing-network.com/hn_contents/photograph/article/index.html

* * * * *

 高木美佳先生のエッセイ、『ヒーリング・アーツとともに』(第2回)の末尾に紹介されているヒーリング・フォトグラフのスライドショー<龍爪掌と蓮華掌>を、「観の目」を修得したヒーリング・アーツ・トレーナーが鑑賞したら、一体どのように観えるのか・・・!? 
 高木一行先生の文章(『龍爪掌と蓮華掌』ライナーノーツより)とあわせ、ここでご紹介したいと思います。

 ヒーリング・アーツで舞う時、私の手は、あんな風に変幻自在に、精妙不可思議に、流れ・巡っている。STM(編注:Spontaneous Tuning Movement<自発調律運動>とは、内側から自然に起こってくる動きに身を委ね、全身を統合するためのヒーリング・アーツのメソッド)として動的に結ばれていく<印[いん]>の一端を斬り撮ったのが、本作だ。
 古伝の密教手印やムードラは、ある特定の超意識状態に応じ、手に自然に顕われてきた形や動きを、パスワード的な目的をもって(シンボリックな鍵として使い、再び同じ超意識界とアクセスするため)、先人たちが記録・様式化したものだ。ヨガのポーズの起源も、超意識状態へのシフトに合わせて自然発生的・聖性示現的に身体が自ずから演じたもの、といわれている。

 周知の通り、手指は脳と密接な関係がある。その手と脳との相関関係を利用し、手に特殊な波紋(振動)を発生させることで、意識状態を極めて短時間のうちに変えることができる。
 それが、龍爪掌・蓮華掌の基本原理だ。
 それらは、現代の新しい印[いん]なのだ。
 龍のスピリット、蓮の花の、スピリットと通じ合う(帰神)ための、現代的な手法。
 龍の精、蓮の精から、授けられたところの。

 奇跡の手とは、あなた方一人一人の手に、奇跡的なる可能性が秘められている、という意味だ。
 人の脳と手は、シンクロしながら同時に進化・発達してきた。これからも、シンクロしながら進化・発達していく。

 

報告1

 スライドショー<奇跡の手 龍爪掌と蓮華掌>を観照していると、一枚一枚作品の端まで濃密な意識が行き渡っているのが感じられます。
 動きの変化や重なりが写し出されているのですが、厚み、重みといったなまなましい実在感と躍動感があり、画面の奥には平らな黒ではなく立体的な闇があり、その中で掌と宝珠が描き出す動きから血肉の通った爬虫類的な生き物の肉体のリアリティを想起させられます。
 画面は平面ですが、濃密な意識が満ちた3Dの空間と向きあっているかのような感覚があり、芸術作品の観賞でありながら瞑想的な充実感も感じていることに気付かされました。
 ヒーリング・フォトグラフ作品はそこにあるだけで意識をひきつける磁力のような吸引力があります。
(道上健太郎 ヒーリング・ネットワーク山口/毘沙門会)

報告2

 真にほどかれた掌が織り成す陰影にすっかり引き込まれ、龍や蓮華からそれぞれの位相で溢れ出す生命力が、観の目が深まるほどにこちらの身体に伝わってくるのが感じられ、精妙なたまふり感覚にしばし陶然となりました。
 時間・空間を越えて観るものをいやすヒーリング・フォトグラフはまさに芸術の力の本質を示したものであり、ヒーリング・アーツを学び、修養の道を歩まんとする者にとって貴重な指標だという実感を、あらためて強くいたしました。
(水野幸司 ヒーリング・ネットワーク東海)

報告3

 観の目を意識しながらヒーリング・フォトグラフを観照していますと、龍爪掌や蓮華掌から発せられる波紋が心身にダイレクトに伝わり、内面が和らぎ、揺らめくことを感じました。
 繊細に解けきった手の動きというものは観照者の心身まで解くことができるという事実に改めて驚いてしまいます。
 普通では見ることができないような手の動きや波紋を明瞭に写し取ることができるヒーリング・フォトグラフの凄さを感じています。
(渡邊義文 ヒーリング・ネットワーク関西)

報告4

 スライドショー<奇跡の手 龍爪掌と蓮華掌>を観照する前に、龍爪掌と蓮華掌を実践し、感覚を確かめました。その後スライドショーを観照してから、改めて龍爪掌と蓮華掌を実践してみますと、観照前と比べて感覚が細やかになる、新しい動きが顕れるといった変化が起こりました。
 ヒーリング・フォトグラフのスライドショーには視覚を通じて修法の本質を伝えるような効果があるのではないかと感じました。
(東前公幸 ヒーリング・ネットワーク関西)

報告5

 スライドショーを観照していますと、ヒーリング・フォトグラフからまるで音なき音が存在しているかのような印象を受けました。おのずとレット・オフが導かれるようで、それとともに心の静寂ももたらされるように感じられました。
(帆足茂久 ヒーリング・ネットワーク九州)

報告6

「観の目」でスライドショーを観照(鑑賞)し始めてしばらくすると、身体の外側に飛び出していた意識が身体の裡に収まるようになり、背中などの無意識であった身体箇所に意識が灯り、心と体が徐々に統一していきました。スライドショーの龍爪掌と蓮華掌が奥行きのある立体的映像として観えるようになると、身体が柔らかく解け、手の粒子的感覚が最高潮に達していきました。
 
 <ヒーリング・フォトグラフ>が身体に及ぼす影響力の大きさにはいつもながら驚かされます。
(平川晋一 神奈川樂会)

報告7

 スライドショー<奇跡の手 龍爪掌と蓮華掌>を観照させていただいて、1枚のお写真に閉じこめられた時間を、その場で一緒に体験しているかのように感じます。
 幾瞬もの時が凝縮されて斬りとられているお写真が多く、その揺らめく瞬間を味わっていると、一瞬一瞬が長く感じられ、時間が細分化され、粒子的に感じられているように思いました。  
 お写真のヒーリング波紋が自らの心身に鏡のように写ってくるように感じられ、全身が細やかに振るえながら、なんと濃密で、生々しく、鮮烈な感覚なのかと感嘆してしまいます。
(佐々木奈緒子 神奈川樂会/女神会)

報告8

 スライドショーを観照して、まずそのあまりの生々しさにうなりました。
 普通は外側には顕れることのない、生命力の発露そのものをダイレクト目にしたらこのようなものか、と感じました。
 スライドショー進むにつれ、畏怖の念を抱かずにはいられません。
 視覚を通じ作品と触れ合うことで、自身の生命力が沸き立ち、活性化していくのを強く感じます。
(佐々木亮 神奈川樂会)